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松平 忠愛(まつだいら ただちか)は、肥前島原藩の第7代藩主。島原藩深溝松平家13代。 == 生涯 == 弘化2年(1845年)8月15日、松平忠篤(第3代藩主・松平忠侯の弟)の長男として生まれる。万延元年(1860年)に第6代藩主・忠淳が嗣子無くして死去したため、忠愛が第5代藩主・忠精の娘・狡子と婚約することで養子となり家督を継いだ。12月16日に従五位下・主殿頭に叙位・任官する。 家督相続直後、アメリカ公使館となった善福寺の警備に当たった。また、幕末期の動乱の中で、長崎方面の海防対策に悩まされたという。文久2年(1862年)、参勤交代で江戸に赴く途上の長州領内において麻疹にかかって倒れ、一時的に回復したものの、江戸に着くと高熱を発して7月21日に死去した。享年18。嗣子が無く、養子の忠和が跡を継いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松平忠愛 (島原藩主)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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